頼 三樹三郎 らい みきさぶろう
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平生 友を求めること 酒を恋するが如し 酒は易く致(する)のと違い 友は難し 烏は快友を従え 車螯(=おおはまぐり)を持つ 一棹を浮遊す 酒船(=酒を貯蔵するための木製の大きな入れ物)の酒 廬峰(風光明媚な避暑地) 来り贈す 大湖(=琵琶湖)の瓢 殷紅(=黒みがかった赤色)の古色 蒲萄の如し 酒を充たすを嫌わず 斗(=升)を容さず 芳烈(=強い香気) 中に含み 気は冲霄(=空に昇る) 聞道(=聞くところによれば)大湖は磊落(=快活で、小さなことにこだわらない)の士(=男) 江山(=山川)の鍾(=鐘) 秀いで 其の髄を鑄(い)る 文壇 幟を抽(ぬきん)でて 本に優爲(=力に余裕がある) 独り巫医(=医者)の混跡(=跡をごまかす)を疑う 千箋を一掃し 珠玉(=すぐれているもの、美しいもの)落ちる 婉辞(=遠回しにいう言葉)険語(=人を驚かすようなむずかしい話や議論) 餘綽(=ゆとり)有り 鶯啼 流れ 雨花 簾を侵す 老鶚(みさご=鷹に近い鳥) 空を盤(=ぐるぐる回る) 風 漠(すなはら)に起こる 我 之(ここ)を訪れんと欲し 桂舟(=美しい舟)に乗る 瓢を倒して同醉す 竹生の洲 京城(=皇居)に首を矯(=曲げる)めるは 万家のこと 身は紅塵(=世間のわずらわしさ)に在るも 心は已でに悠(=はるか)なり 一醉の涼窓 瓢 枕に代わり 雲月の琶湖(=琵琶湖) 夢 澹々(=心が静かで動揺しない)たり 庚戌(=嘉永3年(1850))秋仲 竹渓山本君粲正 鴨漉鰹 |
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p×p |
文政8年5月26日(1825年7月11日)生〜安政6年10月7日(1859年11月1日)歿 制作年 嘉永3年(1850) 26歳 |
幕末の志士・儒者。京都三本木の生。頼山陽の三男。名は惟醇・醇、字は叔厚・子厚・小春・士春、通称は三木八・三木三郎・三樹三郎・三木八郎・三樹八郎あるいは三樹、号は鴨香E百城・古狂生。 後藤松陰・篠崎小竹・佐藤一斎・梁川星巌らに学ぶ。安政4年(1858)には将軍後継者争いが勃発すると、尊王攘夷推進と徳川慶喜(一橋慶喜)擁立を求めて朝廷に働きかけたため、大老の井伊直弼から梅田雲浜・梁川星巌・池内大学と並ぶ危険人物の一人と見なされた。同年、幕府による安政の大獄で捕らえられ、斬首された。 「鴨漉鰹」の下に、朱文下駄判の「頼醇」の落款印が押されている。 推奨サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%BC%E4%B8%89%E6%A8%B9%E4%B8%89%E9%83%8E http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/rai-mikisaburou/rai-mikisaburou.htm https://kotobank.jp/word/%E9%A0%BC%E4%B8%89%E6%A8%B9%E4%B8%89%E9%83%8E-17894 |